コラム「異見と意見」COLUMN
だから「当社の常識は一般企業の非常識」経営に挑戦する!
経済発展先進国の欧米諸国は、文明先進国としても日本近代化の模範だった
第1次、第2次産業革命を通じて飛躍的発展をした欧米諸国は、2つの世界大戦で壊滅的破壊を経ても見事に復興、さらなる発展を遂げ、世紀を超えて経済的、文明・文化的な世界のリーダーだった。その豊かさと発達した文明、洗練された文化は、長く日本人の憧れの的であり日本近代化の模範でもあった。
一方で、歴史的に争いが絶えなかった欧州諸国は、根気強い協議を経て過去のわだかまりを解消し欧州連合(EU)を発足させた。単なる経済的先進国というだけでなく、政治的文化的先進国であることの証であろう。日本はその欧米に倣い、勤勉さと努力で、欧米に劣らない発展を成し遂げたアジアで最初の国である。その成果を生かして、発展が遅れているアジア諸国を積極的に支援してきた。先ずは韓国が経済先進国に加わる発展をし、今また長期低迷していた中国が、安価で豊富な労働力と日本や欧米諸国の支援で得た技術や資本で、目覚ましい発展を成し遂げつつある。しかし両国とも経済的発展が進むほどに、あの戦争に関わる歴史認識で日本との食い違いを際立たせ、戦後70年経った今も、あのEUのような信頼関係、協調関係を築くことができずにいる。アジアでは経済発展に見合った精神的、文化的発展は期待できないのだろうか?
経済発展、物質的豊かさだけで、人は幸せになれない
日本人が久しくあこがれの念をいだいていた欧米諸国に今異変が起きている。豊かさと洗練された文化に恵まれた諸国から、あの凄惨なテロ行為で世界を震撼させるイスラム国(IS)に、多数の若者たちが自ら志願してはせ参じている。EUの中心的国家の一つイギリスは、国民投票で突然EUからの離脱を決めた。さらに自由を建国の精神的支えとする移民国家アメリカは、強権で移民を排斥し自由な経済活動の制限を主張するトランプ大統領を生んだ。他の欧州諸国でも、このような自国優先の声が高まっている。これらの動きに共通するのは、経済発展で豊かになった社会の底流にある不平、不満、自己中心的思想である。毎年OECDが36国を対象に組織、体制、環境、制度などを調査、査定したBetter Life Index では、イギリス、ドイツ、フランスなど西欧先進国の順位は軒並み 10位以下、世界第2の経済大国日本はスペインに次ぐ20位にある。またアメリカの調査会社ギャラップ社による国民幸福感調査によれば、世界一幸福感が高いのは、長期の内戦で家族を失い、故郷を追われ、多数の国民が貧民街で暮らすあのコロンビアであり、先進国では日本28位、アメリカ42位、ドイツ47位、イギリス54位、フランス・イタリア57位という状態である。つまり経済発展と国民の幸福感は比例していないだけでなく、不平不満の原因にさえなっている。それにも関わらず相変わらず物質的豊かさを追い求めている。
NCKが「当社の常識は一般企業の非常識」と公言する企業を目指す理由
あの戦後の貧しい中で国民が力を合わせて必死になって働き、世界第2の経済大国と言われるようになって久しい日本。しかしデータが示す通り国民の幸福感は低い。これは日本だけでなく経済先進国に共通の現象である。それはなぜか?
前記データや体験から二つのことに気づく。一つは「人は、豊かさを当たり前に享受できるようになると幸せを感じなくなる」、他の一つは「人は物質的金銭的豊かさでは決して幸せにならない」ということである。貧しさの中で国民が皆、豊かさを目指して必死に働いた時代には、その過程で一つ一つの進展に手ごたえを感じ、喜び、皆生き生きとしていた。しかしその結果得たこの豊かな社会では、国民は幸福感が持てずにいる。そして今もなお、物質(金銭)的豊かさを追いかけている。それを先導するのは企業である。企業は間違っているのではないか?
人は目標、使命感をもって必死に取り組んでいる過程、つまり価値ある目標達成のために、自らもその一員として参画し、進展を実感することに喜びを感じるのではないか?人は成果物の分配が始まると不平、不幸が始まるのではないか?
そのような認識を背景に、NCKは敢えて常識を逸脱した新しい経営に取り組んでいる。一般企業の様に単なる業績や経済規模拡大を目指すのではなく、社会にとって価値ある目標を定め、その達成に向かって社員が力を合わせて挑戦することへの誇りと、その成果の喜びを共有することを目指したい。つまり他人の努力の結果を一方的、安易に享受する喜びではなく、自らも参画することの喜びを共有する会社でありたい。そのためにNCKが期待する社員は、上司の指示に忠実に業務処理をする「指示待ち、お手伝い、使われ人間」ではなく、達成目標を上司と共有し、その目標達成のために自らもその能力に応じて知恵を出し、考え、提案し、集団としてベストを尽くすことに意欲を持って参画する社員である。仕事はそのためのツールに過ぎない。
(2017.04.03 記)