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コラム「異見と意見」COLUMN

強い想いがあって、初めてことは成る

“光陰矢の如し”という言葉がある。私のような老年期に入った者には一年が 実に短く、この言葉の意味を実感している。しかしながら東日本大震災や熊本大 地震などの被災者の皆さんには、手のつけようもない被害からの復興の足取りは遅く、その苦労の日々は長いものに違いない。一日も早くその苦しみから脱出できる時が来るのを願わずにはいられない。とはいえ、一日が24時間、一年が365日という事実は老若男女を問わず誰にでも平等で、同じ速さで通り過ぎていく。その一日 一日をどのように過ごすか人それぞれではあるが、その一日一日の積み重ねが自分の人生であり、人生の質を決 める。大切に過ごしたいものだと思う。

異常、予想外のことが多かった昨年を振り返って

一方で“災害は忘れた頃にやってくる”という言葉もある。もともと人生も社会も予測不可能、意外性に富ん でいる。自然界の出来事も制御不能、予測不可能なことばかりである。昨年はそのことを実感させる、実に異常、予想外なことの多い一年だった。中でも4月の熊本・大分大地震、6月のイギリスのEU離脱投票、11月のアメリカ大統領選挙は特筆すべき予想外、意外な出来事だったかと思う。それぞれ内容的には全く異なる出来事だったが、その結果生じた苦しみや混乱、失望・落胆などは、その後長く尾を引いている。
しかしながら、イギリスのEU離脱問題もアメリカ大統領選挙も、投票前の予想からは意外な結果だったとはいえ、いずれも国民が自ら選んだ、自ら招いたもの。人間の制御能力を超えたものなどではなく、日ごろの社会への関心の持ち方、対処の仕方、関わり方にその原因があったといえよう。その意味では驚くに値しない。
それに比べれば熊本・大分地震は全く違う。災害が少ないことを強調し、Uターン・Iターンによる他県からの移住を誘導していた熊本では、二つの巨大地震が連続して発生し、その後の余震がいつまでも続くという、これまでの経験では予測できなかった、人間の制御能力の範囲を超える、意外性に富んだ異常な出来事。被災者の皆さんは、安心安全の中で過ごしてきたこれまでの人生、これからの夢を一気に破壊される事態に追い込まれ、落胆し、途方に暮れているといえるだろう。

川の流れは元には戻らない

しかしながら災害は既に発生してしまったこと。現実を認めてそのまま受け入れ、何としてもここから立ち上 がるしかない。私流の考え方では、“今日という日は昨日の次の日、そしてまた今日という日は明日の前の日” ということ。川の流れを元に戻すことはできないように、今日を昨日に戻すことはできない。明日のために、今日これからどのようにするかということが問題だ。暗い気持ちを持ち続ければ、ますます心は沈み、問題が解決 し良い結果が得られることはない。明日に向かっての強い想いがあって初めてことは成る。無い物ねだりではなく、有るものを活用し、明日に向かって走り出すしかない。どんな困難があっても、明るい気持ちを取り戻す以外に、問題が解決できるとは思えない。不思議なもので、暗い気持ちでは結果も暗くなり、明るい気持ちを持てば、それが明るい方向に進む力になる。Dave Kekich という人が、その人生体験を基に書き綴った“成功のため の100カ条”に、次のようなことが書かれている。
“You are exactly what you believe and think about all day long.”
(髙瀨訳:信じ、希望を持ち続けない限り、何事も起こらない。結果は後からついて来る)

明るい社会は“笑顔”から

この年の初めにあたって、今年一年をどのような年にしたいのかを考えてみると良い。明るい一年にするのか、暗いままの一年にするのか、それぞれの心の持ちようで決まるといえるかもしれない。明るい一年にするために、誰にでもできること、それは“笑顔”を忘れないことだ。既に物質的豊かさ、精神的自由があふれる国日本。しかし物質的豊かさと引き換えに精神的豊かさを見失い、子供の声を騒音と感じ、幼稚園建設だけでなく運動会さえも中止に追い込むなど、他人を押しのけてでも自分の要求を通そうとする風潮にある、この“おもてなし”の国日本。ぎすぎすした日本人に今必要なものは、あの戦後の貧しい時代にも忘れなかったお互いを思いやる心、素朴な“笑顔”ではないだろうか?素晴らしい“笑顔”は誰にとっても心地よいもの。周囲の人たちを明るく、ほっとした気持ちにさせてくれる。
一年を振り返ると、人それぞれに悲喜こもごも。しかしながら暗い気持ちではすべてが暗くなる。明るく生きるため、明るい社会のために、自分に出来る精一杯の“笑顔”で日々を過ごそうではないか?

(2017.01.01 記)

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