コラム「異見と意見」COLUMN
会社は誰のものか?当社のあり方を考える
バブル経済崩壊以降、著名企業の不祥事、都市銀行を含む巨大企業の倒産、合併、同族企業の破綻などが続いたが、長期低迷からの脱出が始まった最近の動きの中で、手段を選ばず強引な資金運用や株式操作で一攫千金した資金による企業買収や株式市場撹乱など、これまで予想もしなかった新しい問題が噴出している。その共通点は、経営陣あるいは創業者一族あるいはにわか成金者という人達による会社の私物化、独善化で、株主権利の乱用である。今「会社は誰のものか?」が問われている。
この中で、山一証券や三菱自動車の例に見る経営破綻や不祥事は、サラリーマンの意識から抜け出せない経営者達が、会社の社会的役割、社会性、経営責任を忘れ、自己保身の為の業績至上経営、自己顕示欲に走った結果とも言える。会社は経営者の為にあるのではない。
一方ダイエーや西武グループに見るオーナー経営企業の破綻は、同族経営による会社の私物化、前近代的独善経営が、新しい経済社会に通用しない事の証であると言える。一般的に日本の中小企業は、創業者が自らのアイデア、資金または自己保証で借金して起業し、自ら経営の先頭に立って事業を起し、時には厳しい環境の中で言語に絶する自己犠牲を払い、艱難辛苦を乗り越えて生き残って来た場合が多い。その為、創業者にとって会社は「実の子供」のようなもので、一族に事業経営を引き継がせ「かまどの灰まで自分のもの」と言わぬばかりに、会社を家宝の如く守らせる事を当然として来た。ダイエーも西武グループも、そのような中小企業が発展した姿である。しかし新しい経済社会は、創業者一族という立場を利用しただけで経営をやって行ける社会ではない。オーナーまたは一族というだけで幹部に就いたり、社業発展に貢献することなく脇で眺めているだけで、社員達が汗まみれになって働き築いた成果を吸い上げるという、不公平、前近代的な経営が通用する時代でも無い。会社は単なるオーナー、資本家、つまり株主だけのものではない。そこで最近では、実際に会社の維持発展に責任を持って当る役員達が、単に株主としての権利主張や企業活動の成果を求めるだけの株主、オーナーなどから全株式を買い取るMBOという企業買取が日常的に行なわれるようになった。
一方で最近、ライブドア、楽天、村上ファンドなどの新興企業が、知識とテクニックだけ、手段を選ばない金銭至上主義、自己中心的経営で得た資金の力で、プロ野球チーム、放送局、鉄道会社に買収を仕掛け、社会に衝撃と混乱を与えた。理論的には金銭の力で会社を支配できるかも知れない。しかし会社は資本とその支配者だけで存続できるものではない。会社が彼らのような独善的な経営者・資本家のものであってはならない。
では、当社はどのような会社なのだろうか?その設立は、形の上ではオーナー経営に似ている。しかし実際の設立、成長の経過は前述した一般オーナー経営企業とは違って、日立の発案とその全面的な保護、支援の下に設立、操業開始し、創業経営者は、会社が企業の体をなす前に逝去し、雇われた社員達の悪戦苦闘の結果として今日を迎えた。その意味で当社には、過去に囚われず、全く新しい考えの会社として発展できる素地があると言える。そこで創業社長を引き継いだ私は、当社に全く独自の経営哲学を導入した。その基本はGive&Take, つまり誰かが一方的に恩恵だけを享受することは無いという考えである。理不尽な格差の固定化を避ける社会的公平の追求である。また、株式または会社そのものを商品化しないという考えから、当社は株式上場はせず、株式売買による利益獲得を排し、株式の移動は常に額面で行う事を原則としている。
資本主義の下で株式会社は、理論的にも法律的にも株主のものであるが、当社では会社は社会の一員で、社会と共にあり、社会の公器と位置づけ、株主、経営者、社員そして顧客は、夫々が会社を構成する一員であり、会社は企業市民として社会的規範に従って活動し、その成果は構成員だけがその貢献内容に応じて配分されるべきだと考えている。資金提供をお願いした一般株主には、その出資に対して配当や恩典で十分に報い、資金提供を受ける必要が無くなった時には、出資金返済と云う意味で可能な限り早急に、全株式を買い取るのが効率経営と言える。一方で、過去に会社発展にも貢献してくれた株主にはその存命中を通じてその貢献に報いるが、死亡後は株主権が会社発展に無関係な子孫代々にまで相続される事の無いように、一代限りで全株を買い戻す事こそが、格差の固定化を排除する為に大切である。また株主あるいは会社幹部と云うだけで、その縁者を役職者にしたり社員として採用することはしない。任用や採用はあくまでも会社の必要性に基づくべきで、決して単なる株主あるいは幹部の特権というような不公正、不公平な権利主張で行ってはならない。従ってNCKの経営者には、この会社の経営理念を理解し、賛同し、その実現に誠心誠意取り組む意欲と能力を備えた者が当り、常に理念に従った公正、公平な経営を行うべきである。
一方で当社の社員は、当社の経営理念、企業文化に魅かれて入社してくれた人達であり、決して給料さえ払ってくれれば良いと考えて入社した訳ではない。その意味でも当社が売却され、経営者が誰になっても良いと云うものではない。当社はこのような考えで現在に至っている。
会社は誰のものか?経営陣の若返りを図って2年目の、この年の始めに当たって皆で考えよう。
(2007.01.25 記)