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コラム「異見と意見」COLUMN

地方にこそ、日本の文化、日本人の心が残っている

最近、大学や各種団体から依頼されて講演する機会が多い。そんな時決まって最初に話すのは「敗戦後の日本は、あの荒廃の中から驚異的な速さで経済復興を果たし、1970年代には既に世界第2の経済大国となり、今や世界トップクラスの豊かさを謳歌している。しかしながら最近の日本社会は、その物質的豊かさと引換えに、日本の文化も日本人の心も失ってしまっているように思う」という事である。

戦後61年が過ぎ、あの貧しかった時代の事など想像も出来ないほど豊かな日本であるが、経済的繁栄は首都圏に集中し、その結果都市の様相は、ここが日本であるのかと疑うほどに欧米化し、一方で地方の町村は過疎化が進み、駅前通りはシャッターを降ろし、人通りもまばらで、町並、村落、そして山野は急速に荒廃している。さらに生活の場では人々は自己中心となり、悲惨な事件が続発し、国民の生活風景も大きく変ってきている。

私が育った時代は経済的には実に貧しかった。しかし家族は3世代同居という大家族が当たり前で、人生を達観したような祖父母、時には怖いが頼りになる父親、その怖さを温かく補ってくれる母親、そして兄弟姉妹5~6人は当たり前、9~10人さえ珍しくないという家族構成で、無駄や贅沢を慎みながら、父親を中心に一家として纏まった家族生活の風景があった。子供達は誘い合って上級生が下級生を励まし見守りながら登校し、下校途中では、道端の畑や林に入り込んだり小川で水遊びをしたり、道草を食いながら登校時間の2~3倍もの時間をかけて帰宅するという通学風景があった。また帰宅後や休日には街角の広場や村の空き地に集まり、甲高い声を張り上げ飛び回って遊び、子供同士の喧嘩や悪戯が過ぎると、誰かれということなく気付いた大人達がやさしく注意し、指導もしてくれた。正に子供は社会の宝であり、社会が一体となって育てていた。

しかし子供達が一定の年齢まで成長すると、家計の負担を軽減するために出来る限り早く就職して家を出てゆく事が当たり前で、春になると中学、高校を卒業した若者達が、就職列車で地方から都市部へ続々と出て行った。それでも大家族構成だったので核家族になったり、地方村落の活気が衰える事はなかった。また都市部に就職した若者達は、遠くに居ながらも故郷や親兄弟を想い、正月あるいはお盆などの長期休暇には、少ない給料から節約して貯めたお金で帰郷すれば、そこには父母、兄弟姉妹、そして竹馬の友が居り、思い出の母校が、道草を食いながら通った通学路が、駆け回った野山や小川が、お祭りが、鎮守の森の神社や山麓のお寺が、さらに道端にはお地蔵さんがあった。これらは、そのまま自分にとっての歴史であり、地域の歴史でもあり、日本の文化でもあった。

また、日本人は勤勉であり、親切であり、礼節を重んじ、年長者や教師を敬い、物を大切にする国民と言われた時代もあった。貧しい事は恥ずかしい事ではなく、お金よりも心、誇りを大切にしていた時代があった。経済的な理由で進学出来る若者は少なかったものの、進学すれば一生懸命勉強したし、就職すれば先ずは一人前に成る事を目標に、苦しい事があっても必死に我慢して仕事に打ち込むという、そういう人達が身の回りに沢山居た。流行を追って古くなったものをすぐに捨てたり、食べ散らかすなどという余裕は無く、一旦入手したものは寿命が尽きるまで何度も修理して使用し、無駄を無くし大切に活用した。

そして今、日本は世界第2の経済大国として物質的には実に豊かな社会になった。しかし少子高齢化、核家族化が進み、両親と1~2人の子供、あるいは老人だけという家族構成が珍しくなくなった。通学路は誘拐、殺人、交通事故の危険に満ち、大人から声をかけられたら黙って逃げる様にと教えなければならない。街角や通りの広場で、うかうかと遊んでなど居られない。就職で首都圏に出て行けば、故郷は若者の居ない老齢社会になり、活気を無くし、伝統行事のお祭りも成り立たなくなる。一方で就職先の首都圏では、グローバリゼーションと経済至上主義の中で、便利さ、効率が最優先で、歴史的遺産も風景も破壊しながら街の風景はめまぐるしく変貌し、そこで生活する人達はビジネス競争に追われ、仕事の切れ目が縁の切れ目、隣人には無関心、老いも若きも自己中心的になり、殺伐とした生活風景になった。共に支えあって生きた人情や心温まる生活文化も、地方文化の原点であった町並みや神社仏閣も、そして引き継ぐ人を失った伝統行事も荒廃して行く。日本中が物質的豊かさと引換えに日本の文化と日本人の心を失ってしまった様に思う。

それでも私は、田舎や地方にはまだ日本の文化が、日本の原風景が、日本人の心が残っていると思う。その田舎を、地方を、何とかして再活性化して、神社やお寺などの歴史的建造物や町並みを、お祭りなどの伝統文化を、社会や自然に囲まれて元気良く育つ子供の姿を取り戻したいと思う。その事を通じて日本人の心を取り戻したいと思う。その為には先ずは地方に若者が住み、生活を営む環境を実現し、地方の再生を図る事が大切だと思う。それを推進するのに最も適している組織は企業だと思う。

そのような考えから、首都圏でビジネスを営み、首都圏の新規卒業者のみを採用してきた当社は、3年前にその採用方針を転換し、採用に費用が掛かるのを承知の上で、首都圏出身者の採用枠を絞り地方出身者の採用を始めた。これは、地方出身者には親が元気な内に中央に出て一日も早く視野を広げ、自立/自律できる実力を身につけ、その上で当社社員のまま可能な限り早く故郷に帰る様に指導し、中央とはインターネットで繋がって業務を推進しながら、祖父母や親と同居あるいは近隣に住んで、高齢者の生活支援をすると共に地域の経済発展に貢献するという、新しい勤務形態を実現するための試みである。

一方で、講演や寄稿など情報発信の機会がある度に、このような当社の試みを多くの企業や団体に紹介し、理解、同調の輪を広げて行く活動をしている。新しい時代は量より質の時代。企業や国民の関心が、経済至上主義から荒廃が進む地方の再生、日本の歴史、原風景、そして日本人の心を取り戻そうという方向に向う事を期待して活動を続けたい。

(2006.11.10 記)

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