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コラム「異見と意見」COLUMN

『少子高齢化問題』の問題点

少子高齢化が問題視されるようになって久しい。しかしながら新聞や雑誌、ニュースで騒がれている割には、国民、特に若い人達の関心は薄いように感じられる。

近年低下を続けている出生率がついに1.3を割る一方で平均寿命は80歳を越え、出生数の減少に伴う総人口減少の中で、長寿命化による高齢者の数とその人口構成比率が急速に増加している。その為、このままでは経済社会活動に参加できる人数に比べて、社会から支援を受ける人数が大きくなり過ぎ、社会の活力が減退し、現在のような豊かな社会生活を営む事が困難になって来る。これが一般的に言われている少子高齢化問題の概要である。しかし長寿は人間の永遠の願いであることを考えれば、長寿命化自体は決して悪いことではない。従って主な少子高齢化問題とは、子供を産む女性、または一人の女性から生まれて来る子供の数が減少する事によって、将来に向かっての労働人口や社会生活を支える若年人口が減少する事、そのような社会をどのようにして維持運営して行くかという事だと言える。

この問題を、ある大学生達との懇談会で話題として投げかけた時、まだ20歳前後の若い学生が言った。「アジアの国々に限らず日本に働きに来たいという外国人は多い。従って外国人の入国基準を緩和して、若い人をもっと受け入れれば日本の少子化問題は解決する」と。

確かに一つの考え方ではある。 しかし私はこの考え方に疑問を投げかけた。「我々のような高齢者が言うのなら、もっともな意見として一考に値する。しかし皆さんは、これから結婚し、子供を産む事が出来る能力を持った若者だ。皆さんが先ず考えるべき事は、何故この日本で少子化が進んでいるのかと言うことではないだろうか?もしその原因が子育てにお金がかかる事にあると言うなら、この日本よりはるかに経済的に貧しい国の人達がその限られた収入を割いて、苦労して育てた子供達を導入して日本の少子化問題を解決しようと言う発想は、あまりにも矛盾、自己中心的発想ではないだろうか?経済大国のうぬぼれ、横暴ではないだろうか」と。

確かに子供一人といえども、家族が増えれば生活費が増える。しかし私達はグルメだ、ブランド品だ、あるいは娯楽だと云って、日常的な楽しみに随分お金を使っている。そのようなお金と比較して、子育てに使うお金の方が価値あるいは優先順位が低いと言うのだろうか?子育ては娯楽のような目先の一時的な楽しみではなく、将来に向かっての楽しみである。子育てを通じて自己成長も図れる。また私達の経験によれば、子供はお金さえあれば育つものでもなければ、お金をかければ良い子が育つというものでもない。

また次のようにも疑問も投げかけた。「少子化の原因が子育ては苦労が多いからだと言うなら、これも経済大国の横暴、自己中心的な発想では無いだろうか?自分達は苦労をせず、経済大国の札束の力にものを言わせて、日本より貧しい人達が苦労して育てた子供達によって自分達の問題を解決しようと云うのだろうか?」と。確かに子育ての為には、自分の欲しい物ややりたい事を少しは我慢しなくてはならない。精神的にも苦労することは多い。しかしその苦労があってこそ将来の安心、心の安楽があるのではないだろうか?結果は後から付いて来る。

残念なことに若者達には少子高齢化問題が誰にとっての問題なのかが分かっていないように感じられる。少子高齢化現象が起こっているのが今現在であっても、それが問題となるのは自分達が高齢化した時のことである。つまり少子高齢化問題とは自分達の問題である。

一方で、最近の日本社会では生きる目標も意欲も無いので、インターネットで仲間を募って自殺する人、あるいはニートといわれる消極的な生き方の人達も増加傾向にある。この事実を含め考えれば、私は人口さえ多ければ良いとは思わない。大切な事は、少人数であっても一人ひとりが意欲を持って生き、社会の一員としての意識と認識を持って役割を果たす事、つまり数より質の問題だと思う。高齢者支援も単なる人手の問題ではなく、それを支える人の心の問題だと思う。

当社は創業以来20年間「当り前のことを当り前に行う」事を経営の基本とし、社員は新卒の採用で構成し、企業戦士育てではなく良き社会人、良き職業人の育成を目指して、常に時代を先取りした斬新な経営に挑戦して来た、21世紀を生きる若者集団である。

つまり少子高齢化問題は、一般社会つまり他人事ではなく皆さん自身の問題である。結婚するのも子供を産むのも全く個人の自由であり、個人の選択の問題である。しかし自分達が少子高齢化時代を生きることに選択の余地はない。どう生きるか、自分の問題として真剣に考えよう。

(2005.08.25 記)

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