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コラム「異見と意見」COLUMN

年功序列制度は悪くない

いよいよ1000年代最後の年のスタートです。今世紀は、世界にとって、戦争と技術革新とそしてすさまじい変化の世紀でした。その中でも後半50年間は、日本にとっては、敗戦による荒廃から、驚異的なスピードで世界第2の経済大国への発展という、輝かしい実績を残す一方で、精神的な大変革が起った半世紀でした。その躍進と変革の中で失ったものも多く、間近の1990年代という10年間は、経済的、政治的な自信と信用の失墜と混乱のdecadeと言えるでしょう。

躍進の勢いに乗って経済も意識もバブル化し、そのバブル経済は崩壊したものの、意識のバブルはそのまま続いています。そのため、不況に突入して以来、そこから脱出する方策も自信も見い出せず、ただいたずらに時が流れ、その間に、あの躍進を支えた多くの日本独自の文化、知恵を、日本人自らが廃棄、放棄しつつあるのは、誠に残念だと思います。その中の一つに年功序列制度があります。

バブル経済が崩壊し、日本経済が不況のどん底に落込んでいく過程で、あの世界から高く評価されてきた日本的経営が一斉に見直され始めました。それは見直しというより批判といった方が適当かと思われる程です。その中で官民癒着、護送船団方式、あるいは強力な系列化支配など、社会活動やビジネス活動の近代化の中では、改めなければならない事も多くあります。

しかし終身雇用制度や年功序列制度は、世界に誇れる日本人の知恵、理にかなった制度だと私は思います。中でも年功序列制度は、社会人としても職業人としても経験年数を重ね、成長する程に評価されるという、優れた制度だと思います。それにもかかわらず、多くの企業が最近の日本経済の低迷の中で、経営改善の一環として、あるいは経営悪化の重要原因の一つのような認識で、年功序列制度を次々と廃止していく現状を極めて残念に思います。私は制度そのものが悪いのではなく、この世界に誇れる制度が、適用できなくなってしまった最近の日本人そのものに問題があると考えます。

かって私達は、目上の人や先輩達を敬う習慣を持っていました。同時に目上の人や先輩達はそれに値しようと努力をし、振舞いをし、それに値するものを持っていたように思います。家族や社会での会話の中に、長い人生経験を生かした老人達の参加もあり、それに耳をかたむける子や若者達も居ました。

親達は子育てのためにまじめに、全力で働き、子供達がそれを見て育つに値する背中を持っていました。そして子供達や若者達もまた、そういう人達の行動や考えに刺激され、参考にし、目標にして、自己成長に努めていたと思います。そういう努力の結果として、年齢相応の成長を実現して行ったと思います。

ビジネス社会でも同様で、上司は上司らしく、先輩は先輩らしく、部下や後輩を指導し、アドバイスし、育てる事に努力し、部下や後輩から尊敬されるに値する思いやりや実力を持っていたように思います。従って年功序列の処遇は何の違和感もなく、適用され習慣として存在できました。

言いかえれば、国民の大部分は、皆それぞれに、年齢経験にふさわしい実力をつけるべく努力し、実力をつけ、社会にビジネスに貢献してきました。その結果として、国民全体のレベルは向上し、和の精神も相俟って、日本はあの荒廃の中から世界も驚くスピードで経済大国と言われるまでに発展できたのだと思います。

しかし豊かになった日本人は、自分達の先輩達が築いたこの良い制度の意味を忘れ、単なる習慣と誤解し、経験や年齢相応に成長する努力を忘れてしまったものの、年功序列の処遇にだけはこだわるようになってしまいました。そして上司も部下も、先輩も後輩も誰もが、自分の事にしか関心を払わなくなってしまいました。

即ち、年功序列制度そのものがいかに優れていても、それを適用する対象となる人達に、年令経験にふさわしい実力が伴わず、この制度を適用すること事体が不可能、理にかなわなくなってしまった訳です。せっかく日本人が考え出し、慣習と言えるまでに育てたこの優れた制度を、日本人自身が葬り去ろうとしている訳です。

私は、当社に、年功序列制度が復活できるようになる事を期待しています。先輩が先輩らしく、役職者が役職者らしい実力をつけ、振舞い、そして先輩や上司と、後輩や部下が、相互に努力し、刺激し合い、社会人として、職業人としての成長を計りながら、社会生活を、ビジネス生活を楽しめる会社になりたいと思っています。そうすれば、定年も、高齢化も恐れることはなく、むしろこの年功序列制度が再び輝かしい成果を発揮できる状態になると思います。 “年功序列制度は悪くない” と私は考えます。

(1999.01.28 記)

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